言葉を極力使わないこと

坐禅では「なにも考えるな」といわれる。しかし、考えないというのは非常に難しい。まず、「考える」とはどういうことか?

・言語で理屈をつくる
・数字などを使って分析する
・物思いにふける

定義の幅が広すぎる。

・外部の刺激を受けて、内部で発生したイメージを基に言語を内部循環させること?

仮に上記を「考える」の定義とするなら、「考えない」とは「言語を内部循環させないこと」だ。なぜなら、外部の刺激を受けないことなど実質不可能だし、内部でイメージが発生するのは人間の生理上、止められないからだ。この難題に対処する手法を仏教は教えている。それは、外部からの刺激(見たモノ、聞いた音、触れた感覚など)や内部イメージ(外部刺激と同じ)を客観的に「見た、聞いた、感じた」と認識してゆくことだ。それだけだ。そのあと言葉(理屈)を繋げない。シンプルなことを続けるのが難しい。